たんぽぽ 吹きながら

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 手話と共に生きる

<<   作成日時 : 2006/12/09 22:32   >>

トラックバック 2 / コメント 5

7日付読売新聞、11面「論点」で、
元北海道の聾学校長だった人の文章が載っている。
タイトルは『聾学校の言語教育 手話よりも「読唇」優先で』。


聴覚障害の課題は、「読み、書き」を通して、
正確な情報を獲得・発信して行動できることである。
多くの聾学校では、長年、残存聴力を活用して
読唇ができるようにする「聴覚口話法」を指導してきた。

ところが、最近、聾学校への「手話の導入」が叫ばれている。
背景にあるのは
「手話で会話するのは聴覚障害者の権利である」
と言う考え方であり、聴力障害者協会が中心となって
その運動が進められている。・・・・



聾学校にもいろいろ考え方の違いがあって、
聴覚口話法の学校もあれば、手話の学校もある。
両方をミックスしたような学校もある。

この人は聴覚口話法まっしぐらで進んできた人なのだろう。
手話の早期導入を
「・・・残存聴力の発達や読話(読唇)の獲得への
障害になりかねないからである。」

と否定的だ。

しかし「聴覚口話法の指導は並大抵ではない」のだ。
「手話を使わせないため両手を縛って教えたこともある。」ほど。
これが幼い子供にされている指導なのだ。


言葉を教え込むため、カードを使い、口の開き方はこう、
舌はこんな形、息はこう吹く。
息子の通った幼稚部でもかつては このような指導が
行われていたと言う。
幸い、息子が通い始めたころには
キュードスピーチ(口の動きと手の動きで50音をあらわすもの)をつかい、
手話を否定すると言うこともなかった。
子供に合わせて使い分けられていた。


聴覚口話法について、話だけを聞けば「なんて素晴らしい!」
と思う人もいるかもしれない。
実際、うまく使うことが出来て、活用している人もいる。
だけど、すべての人がそうではない。

幼い子供が 口の動き、舌の動き、息の吐き方に注意を受け
生き生きと楽しく会話できるだろうか?
話そうとすればたちまち 発音の指導の時間になる。
子供同士でも話が通じない。
何よりもの母たちは、子供を愛しているからこそ、
一生懸命に子供に「指導」してしまうのだ。


「コレはコップよ。
言ってごらん、コップ。コ・ッ・プ!
違うでしょう!もう一度!コ・ッ・プ!」
子供はなにやら口をパクパクさせて怒っている母を見ている。
でも、本当はコップの中の水が欲しいのだ。


日常生活、ありふれた場面。
さりげないシーンが勉強の場になる。
ゆったりとした気持ちで コミュニケーションをとる前に
子を思う愛情がゆえに、母は「指導」してしまう。
子はただ甘えたいのに。


これが手話なら コップを手に取り飲む動きをする。
それで母は水が飲みたいのねと理解し
「はいどうぞ」とコップを渡す。
おいしいね、とにっこり目を合わせる。
そこに気持ちのやり取りがある。



息子に聴覚障害があることは以前書いた。
共感
それまでコミュニケーションの取れなかった親子に、
「共感」の方法が手に入った。子供がどんどん可愛くなってきた。

息子は手話表現をどんどん覚えていった。
いろんなことを私に伝えようとしてくれた。
私も手話を使い、いろいろな話をした。

下の子を妊娠中、私が食べる姿を見ては
「赤ちゃん食べてる。」
私が何かを見ては
「赤ちゃん見てる。」
赤ちゃんを喜ぶ気持ちが伝わってきた。


聴覚口話法を 私は否定しない。
残存聴力もあって、それが有効な人もいるだろうから。
でも性格的なことや、聴力の残されてない人。
視覚から物ごとを理解し、その上で口話法に入ったほうがいい人もいる。
子供は一律ではない。

では、その指導法は、どうか? その点は強く言いたい。

子供がリラックスできますか?
愛情あるやり取りができますか?
母を責めていませんか?
口話が出来ないからといって、いつまでも
その言葉をリピートさせていませんか?
子供同士で会話が楽しめていますか?

充実した子供時代があるから、人は人生の荒波を
乗り越えていけるのだと思う。
充実した、楽しい、子供時代、ですか?



息子の通った聾学校でも かつて聴覚口話法が行われ、
その厳しい指導に精神を病み、不登校となった子もいたと聞く。


子供は愛されて育った記憶が必要。
無条件に認められたいと願っている。
「上手に発音できるから」ではなく。
口話法は一生懸命なあまり、
親子が「教師と生徒」の関係になってしまわないか。
私も経験があるだけに心配になる。


息子は手話や身振り、キュードスピーチから
言葉を覚えていった。
そしてその上で口話法も身に着けていった。
へたくそだけど。
でも、それがいい。
聞こえないと言うことが、周りの人に分かってもらえるから。
それに兄弟などは何の問題もなく口話だけで、話が通じる。
ちょっと慣れれば、通じると言うこと。
兄弟間のやり取り(ケンカ?)のおかげで、発音を怖がることはない。
ありがたいことだと思う。


私は息子を育てるとき、「人間を育てるのだ!」と思っていた。
お話が上手な人、ではなく、人間としての成長を第一に考える、と言う意味。
そのために手話・キュードスピーチは大いに役立ってくれた。
発音は下手でも、物事を理解する力が育ち、
本も読めるようになっていく。
仲間とたくさん遊び、出来事を振り返ることで、
出来事の筋を理解していった。

あの子が「成長したな」と嬉しかったのは
小学1年生のとき。
TVでドラえもんのミニ映画「おばあちゃんの思い出」を
見ていたときだった。

字幕を表示して、じっくり見入っていた息子。
ふと見ると やさしいおばあちゃんとの別れのシーンで、
涙を流していた。
初めて見る、感動の涙。
それを私たちに気づかれないように、隠しながら
見入っていた息子。
ここまで理解力が高まっていたのかと言う驚きと、
感動の涙を流せる感受性を持ってくれたことが 
とてもとても、嬉しかった。


わが指のオーケストラ (1)
わが指のオーケストラ (1) (秋田文庫)

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
読売新聞「論点」などに対する反響色々。
先日紹介した12/7付け読売新聞・論点および12/11付け同紙関西版の寄稿記事『聾学校の言語教育、手 ...続きを見る
Let it be...
2006/12/13 13:11
聴覚障害児の言語教育の方法
聾学校の言語教育、手話よりも「読唇」優先で… http://osaka.yomiuri.co.jp/possibility/news/ps61207b.htm ...続きを見る
聴覚障害とかプログラムとか
2006/12/14 21:03

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
娘の保育園時代、耳の不自由なお友達がいました。娘はいろいろ手話を覚えてコミュニケーションをとっていました。私たちにもたくさん手話を教えてくれました。今、そのお友達とは別の学校に離れてしまいましたが、保育園の同窓会などでは楽しそうに手話でコミュニケーションをとっています。
無敵
2006/12/09 22:39
無敵さん。嬉しいお話ありがとうございます。
手話って、子供にとって楽しいみたいですね。
手の動きで気持ちや物や出来事を表現できる。感情表現を出すのが苦手な日本人には、ぜひとも手話を身につけて欲しいなあ、なんて思ってます。
桜もち
2006/12/09 23:27
12/7付け読売新聞の記事と同様の内容が、今度は森川氏の寄稿という形で、
本日11日付読売新聞関西版に掲載されました。
http://osaka.yomiuri.co.jp/possibility/news/ps61207b.htm
聴覚口話法そのものを否定する気はありませんが、「こどば」を覚える上で、
手話が大きな手助けをすることがどうして、理解できないのか不思議です。
まりん
2006/12/12 13:15
http://osaka.yomiuri.co.jp/possibility/news/ps61207b.htm
URL、間違えましたm(__)m
まりん
2006/12/12 13:17
まりんさん。はじめまして。情報、ありがとうございます。
>「こどば」を覚える上で、手話が大きな手助けをすることがどうして、理解できないのか不思議です。
まったくですね。手話を使うことで、どれだけ頭の中の交通整理ができるかわからないというのに…。大手の新聞に「手話否定論」がドンと載ることで、小さい子を持つ親御さんが手話をためらうことがなければいいのですが。
桜もち
2006/12/13 00:23

コメントする help

ニックネーム
本 文